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差別と言葉狩り


新聞やテレビは選挙報道でいっぱいですね。
今回の民主党の惨敗は政治へのいらだちと不満を大きく物語っていると思います。
あれだけ政権交代に期待した国民への裏切りでしたからね。しかたないでしょう。

3.11災害を陣頭指揮した菅さんはがんばっていたとは思いますが、情報をひた隠しにした罪が問われて信を失いましたし、それ以前に沖縄問題で沖縄県民すべてを敵にまわした鳩山さんはA級戦犯になりさがりました。

次の政権に期待したいところですが、安部首相は今度こそ名誉挽回してもらいたいですね。

ところで本題ですが、選挙にだるまはつきものですが、このだるまの目に墨を入れる行為が身障者への差別行為だという記事を読みました。
視覚障害を持つ方から見たらそう見えるのか、はたまた見えないのに見えるというのも変なんですが、まわりの人が騒いでいるのでしょうかね。

以前から障害者の害の字を障碍に変えようとか、めくら、つんぼ、おし、びっこ、などは禁止用語となってテレビや小説などでは使われなくなりましたね。
古い小説の再販本を読んでいると、「差別的な言葉を使用している部分がありますが、当時の表現であってうんぬん」、と断わりが入っています。

SF作家の筒井康隆さんは昔から大好きな作家でしたが、言葉狩りにあって断筆宣言までしましたね。
筒井さんの作品は過激な表現がたくさんあって、それがただの過激だけではなく、社会風刺であったり計算されたちゃんとした表現なんですよね。
それが全体を見ないで一部の表現だけを取り出して大騒ぎする。文学から表現の自由を奪えば何も残らないことも、言葉狩りをする人たちには関係のないことだったのでしょう。
自分たちの不利益を主張するためにはなりふりかまわずという風潮が当時あったように思います。
ウーマンリブという言葉も流行った時代ですよね。

自分を振り返って考えると、差別はいけないことだと分かっています。
障害者を汚いものを見るように避ける人たちや、知的障害者や精神疾患の患者たちの施設の建設に猛反対する人たち、障害を持つ子供は普通学級に入れないと受け入れ拒否をする教育委員会など、枚挙にいとまがありませんが、果たして自分はどうなんだろう?

たとえば自分の娘が黒人と結婚したいと連れてきたら、たぶん迷うと思います。
正直に言えば、やめてほしいと思うでしょうね。韓国人でも中国人でもいやだと思います。
差別はいけないことだと考えていますが、それとこれとは別だということでしょうか。自分の矛盾に気づいてしまいます。
何が言いたいかというと、差別は恐れだと思うんです。
未知のものに対する恐れ。
相手が外人であれ、人間として同じ心を持っていると分かれば恐れる必要はないんですよね。

昔は気ちがいと言われる人が普通にいました。
春になると調子が悪くなって町をうろついたり。
乞食もいました。
物乞いに裏玄関にやってきて、母親はおにぎりを1個作ってやって追い払っていました。
指のない人、腕のない人、足のない人もいました。
今で言う精薄児も普通学級にいました。授業が始まっても教室内を自由に歩き回っていましたし、先生も別に止めはしませんでした。いじめはなかったように思います。給食のときなど女子が食べさせてあげたり、トイレに連れて行ったりとか普通に世話をやいていました。

障害者や部落などを隔離して一般人の目に触れないようにすることが逆に恐れを生むのではないでしょうか。
健常者であってもなくても、普通の社会で普通に暮らせることが一番の差別解消だと思います。
やくざでも中国マフィアでもないのに、これだけ一般人の犯罪が増えてくると、恐ろしいのは一般人ですよね。
幽霊や妖怪は怖い格好をしていますが、一般人は普通の身なりですから区別がつきません。

差別は悪いことではありません。自分と他人を区別することが差別なんです。それはあたりまえ。
差別用語を言葉狩りするよりももっとやることがあるはずです。
お金のある者、強い者、効率のよいもの優先の社会がゆとりを失わせています。
お金がなくても、人より弱くても、効率が悪くても、隣人に理解を示すゆとりのある教育をしていくべきだと思います。

新聞やマスコミは、失言や人の失敗を声だかに面白くネタにしますが、そんなものはつまらないことなんですよね。
乙武さんのように差別発言を跳ね返す強さが皆あるわけではありませんが、プラス思考で考えると自分のことも笑い飛ばせるようになると思います。
そういう意味ではデブ、ブスと言われなれてる人は強いですよね。
これもひどい差別用語だと思うのですが、レッドはいつかデブの時代がくると昔から言い続けています。
差別はあって当たり前。
そういう風に考える方がきっとみんな楽になれるはず。



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NO TITLE

ハックルさん

ジェスチャー、見てました。子供ながらに楽しみな番組でした。
そんな理由で打ち切りになったんですね。知りませんでした。
当事者が苦痛だったとしても、ごく一部の方だったでしょうね。そういう人は世間に対して絶望しているのであって、そういう希望を持ってもらうことの方が大事な気がします。

障害者のことを語りづらい風潮はなんのためになるのでしょうね。
チャリティ番組のときだけがんばっている障害者をひっぱりだしてきて応援するのはなんかちがうと思います。本当に応援が必要なのは、そういう番組にすら出られない人たちですよね。

>本当の気持ちを理解するおおらかさや優しさの方が大切だと思うのですが。

まさにそうですよね。こういう気持ちが欠けているから言葉尻をとらえたくなるのだと思います。
いまのいじめとも関連があると思っています。

NO TITLE

いや~全く同感です。
昔、ゼスチャーというテレビ番組がありました、それが聴覚障害者に対して良くないという理由で廃止になったと聞いています。
はたしてそれが本当に当事者に苦痛であったのでしょうか?
差別的に聞こえる用語を使わない、いまそんな事ばかりにこだわっている風潮が、みられる気がします、ただそれだけで本当の思いやりや優しさだと考えているとしたら大きな間違いです。
最近の日本も言葉に右往左往する人間が多くなりました、政治でもちょっとした失言で要職を交代、こんな事ばかりしていてはますます世界から見放される事が多くなります、言葉尻をとらえるばかりでなく、本当の気持ちを理解するおおらかさや優しさの方が大切だと思うのですが。

NO TITLE

あんこりん さん

コメントありがとうございます。
難しくなってしまってすみません。
書いているうちに自分でも何がいいたいのかわからなくなってしまいました。

ただ、ずっと心のどこかにあった気持ちなんです。
保守的、排他的になるのは人間としてわかるのですが、同じ人間なのにです。

そして、裏を返せば自分もそういう人間だっていうことが引っかかっていました。
人がどうこうというよりも、今回は自分の懺悔、そんな気持ちで書かせてもらいました。
理解しようと努力する、それが一番大事だと思いますね。

NO TITLE

こんにちは。。

そうですね。。
難しい内容なので…
私のようなものがコメントをさせていただくのは
恥ずかしいのですが…
おっしゃるとおり、
区別を設けているのは人間の心であって
同じ人間に変わりはないと思います。。
なので本来は区別してはいけないのだと思います。。
ただ…人と違っていること=悪
みたいな風潮が特に日本は強いのかなぁとも思います。。

もちろん…
海外には根強い人種間や部族間の差別があるのでしょうが。。。

差別…よりも理解しようと努力する社会に
少しづつなっていけばいいですね。。。
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